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2006年10月31日 (火)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(三)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (三) 】


 「青い帽子」(二)からの続き.....


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 「人間というものは、何かを求めずには生きていけないと思うんじゃ。何かを求めなくてはのう。ある人は、名誉かもしれない。ある人は、お金かもしれない。またある人は、愛情かもしれない。それは、まあ人によって、求めるものは違うじゃろう。人それぞれ顔が違うように。生命線の長さが違うように。

 まあ、求めるものが全く一緒ではなくとも、何かを求めるという行為自体は、全ての人が必ずやっているものなのじゃ。それは人生そのものなのじゃ。人生を掛けて、何かを求めるものなのじゃ。何かを求め続ける限り、人生は終わりのない旅となるのじゃ。わしの場合は、青い帽子が、人生を掛けて探し求めるものなんじゃ」


 老人の話をぼんやりと聞きながら、幻想のまんじゅうを胃の中に流し込むと、そこからイライラが発生してきた。


 一体この老人は何が言いたいんだ?人生がなんだって?求めるものがなんだって?なんで朝っぱらからこんなわけのわからない話を聞かなければならないんだろう。イライラが、見る見るうちに、胃の中から繁殖し始めた。これは、バスがもうすでに来てしかるべき時間なのに、一向に来る気配がないことも影響しているのかもしれない。でも、この時間帯にバスが遅れるのはいつものことであり、もうそのことには慣れてしまっているので、いつもはそのことに関してはそれほどイライラしないのに、この老人のへんてこりんな話を聞いているせいで、今日はいつもと違いイライラしているのかもしれない。


 一体バスのせいなのか、老人の話のせいなのか。どっちが原因なんだろうか。両方ともそうなのかもしれない。両原因が相乗効果を生み出して、いつもは現れない、イライラという感情を繁殖させたのだ。老人の話を聞いている結果、バスが来るのが遅いことにイラついているのであり、バスが来るのが遅い結果、老人の話にイラついているのだ。でも、僕としては、老人の話を聞いている結果、バスが来ないことにイラついている方が割合が大きいような気がする。それは、バスが遅れる確率よりも、この老人の話を聞く確率の方が低いからだ。


 この時間帯のバスが遅れるのは、今までの経験からいってだいたい九十五パーセントくらいだろう。それぐらい、時間通りに来ることなど滅多にないのだ。たまに、本当にたまにだけ時間通りに来るのだが、それは、僕が『どうせいつも遅く来るんだから、ちょっとくらい遅れて行っても大丈夫だろう』と高を括っていた時に限って起きるのだ。


 それに比べて、この老人の話を聞くことは、このバスを待つ列にちょっとでもずれて並んでいれば避けられたのだから、まあ、多くても一パーセントほどか。乗った電車の車両の違いや、バス停まで歩く速度の違いなどの、ちょっとした違いがあればよかったのだ。そんなちょっとした違いがあれば、老人の隣でバスを待つことはなかったのだ。


 こんな確率の少ないことに当たるのならば、良い事で当たれば良かったのに、という悔しいような悲しいような思いが、まだイライラの繁殖する速度を速めている。本当に運が悪かった。やっかいなことに巻き込まれてしまったな、と思ったが、まあこうなったら仕方がない。ここでこの老人の話を聞くことを止めてしまえば、老人の今後の人生において、人間不信や対若者拒絶症などの症状が表れないとも限らないので、もう少しだけ付き合ってあげることにした。


 「青い帽子を求めることに何の意味があるんじゃろうか。もしかしたら意味など無いのかもしれん。無いかもしれんけど、無いと言ってしまえばそれで全てがお仕舞いじゃ。何もせぬうちから諦めてしまうのは我慢ならん。たとえ青い帽子そのものに大した意味など無いのであっても、その意味を探る過程に、自分にとってかけがえのないものが見つかるかもしれんしのう。

 この世界の在りとあらゆるものの中で、意味の全くないものなど存在するはずがないとわしは思うんじゃ。何かしら意味はあるはずじゃ。その意味を見つけることによって、わしがこの世に生きてきた証、生まれてきた意味がわかると思うんじゃ。

 この七十五年、わしはいろんなことを体験してきた。楽しいこともあったし、辛いこともあった。戦争も体験したし、淡い恋も幾度か経験してきた。じゃが、死んでしまえば、そういったわしが今まで体験してきたことは全て消えていってしまう。死んでしまえば、わしの存在など無くなってしまうのじゃ。残された家族には、記憶としてわしのことが残されるじゃろう。じゃが、記憶というものはすごく曖昧なものじゃから、もはやそれはわしであってわしでない存在なのじゃ。わしによく似た別人なのじゃな。

 そんなたかだか百年にも満たない間、命を伴って生きてきたちっぽけな存在のわしが、この世に生まれてきた価値は、生まれてきた意味はあるのじゃろうか。ひとりの人間としての立派な使命を果たすことが出来たのじゃろうか。それがとても不安なのじゃ。

 全てのものに意味があるのじゃから、きっとわしにも、こんなわしみたいな存在にも、意味はあったはずじゃ。その意味が何なのか、この目で確かなものを見てみたい。そうでないと死んでも死にきれん。そこで、その確かな意味というものを、青い帽子を探ることによって見つけようとしているんじゃ」


 自分の生きてきた意味を見つけるというのはわかる。でもなぜ青い帽子なんだろう。青い帽子でないといけないのだろうか。青い帽子に何のこだわりがあるんだろう。この世に存在する全てのものに意味があるのなら、別に青い帽子でなくてもいいのに。他のものからその意味を探した方が見つけやすいだろうに。それとも、何でもいいから意味を求めているというのではなくて、青い帽子に付属する意味を探ることに何か重要な意味があるのだろうか。イライラをなるべく表に出さないように気を付けながら、そのことを聞いてみた。


 「でもなぜ青い帽子なんですか」


 「いやいや、特に深い意味はないんじゃ。何かキッカケがあったと思うんじゃが、もうずいぶん前のことじゃから、忘れてしもうたのう。もう日常的な習慣になってしまっとるからのう。いつのまにやら忘れてしもうた。まあ大したキッカケではなかったと思うんじゃが」


 と言って老人は、未だまんじゅう屋を眺めながら、白髪の中にちょこっとだけ黒髪を見ることができる頭をポリポリとかいた。


 「でも、青い帽子じゃないといけないんですね」


 「うむ、そうじゃな」


 「なぜそんなに青い帽子にこだわるんですか。別に他のものでも構わないじゃないですか。例えば、緑色の靴下とか、黄色の目薬とか、虹色の筆箱とか。大したキッカケじゃないのなら、青い帽子にこだわる必要はないんじゃないですか。青い帽子の意味するものが、あなたにとって何の価値もないものならば、取り返しのつかないことになってしまいますよ。

 それに、青い帽子なんて、そのもの自体が大雑把すぎて、意味を探り出すのにかなりの労力が必要ですし。無駄な情報もたくさん出回っているだろうし。それよりも、もっとこう、あなたの身近にあるもので、具体的な何か、例えばブランド名とか、その物の材質とか、そういう細かいところまでわかっているようなものについて、しかも図書館とかそういうちゃんとした場所で調べた方が、確実にあなたが求めている意味を探し出すことができると思うんですけど」

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  「青い帽子」(四)へ続く.....

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