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カテゴリー「15.MDB的短編小説」の記事

2007年2月22日 (木)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(あとがき)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (一)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (二)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (三)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (四)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (五)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (六)

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 この「青い帽子」というのは、今から約10年前、当時大学生だった頃に書いたもので、自分が生まれて初めて書いた創作話、格好良く言えば“処女作”なのです。

 なぜに今そんな話をここにアップしたのかといいますと、その時はノートに落書きのように書いていったものをワープロにまとめて、それを感熱紙に印刷して保存していたのですが、やっぱり10年近くも経つと文字が薄くなって読めなくなる寸前にまでなってしまったので、新たな保存場所として、とりあえずここにアップすることにしたのです。
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 それでは当時の自分が何故にこんな話を書いてみようと思ったかを説明してみたいと思います。

 大学には、勉強をするよりも眠気と闘うことの方が最重要課題となる授業がいくつもありまして、それが先生の目の届きにくい大教室ともなると、1時間半休憩なしで自分自身との苛酷な闘いとなるのです。

 その対策として、ノートに絵や文字など書いて、とにかく手を動かすことによって何とか眠気を遠ざけようとしていたのですが、そんなある日、ほとんど無意識に『青い帽子』という題名と、「青い帽子について教えてほしいんじゃが」という最初の一文(これは最終的に削ってしまいましたが)を書いていました。何故に「青い帽子」なのか、何故に老人の会話文から始まったのか、今となってはわからないし、当時の自分もわかっていなかったでしょう。

 突然降って湧いてきたその題名と一文ですが、その後も、先のことどころか、たった今書こうとしていることさえ何も考えず、手が動くまま筆が動くままに書いていって出来上がったのが、この作品なのです。だからまさかこんな長くなるとは思わなかったし、こんな話になるとは思いませんでした。なので、他人が書いた小説を読んでいるかのように、“この先どうなるのかな~”と楽しみながら書いていたのですよね。

 まあそんなものですから、今読み直してみると、どうにもお粗末な部分が多くて.....。全体的なバランスだったり、老人の会話の内容だったり、バスの中の話しだったり、ラスト前の主人公の思いを語るとこだったり....。

 それで今回改めて書き直してみようかな、とも思ったのですが、当時の何も考えないままに書き綴ったことによる勢いがなくなってしまうし、とにかく当時の自分が書いたままを残しておく方がいいかなと思ったので、細かい言葉や文章の修正程度にとめておきました。な~んて、単行本化や文庫化した時の小説家みたいなことを言ってみたりなんかして。
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 あと、今回アップしながら久々に読んでみて初めて気づいたことがありました。

 この話の中では、とにかく“意味”という言葉がしつこいくらいに何度も出てくるのですが、実はこれを書いてから約5年後、つまりは今から約5年前ということになりますが、『意味のないもの』という詩のようなものを書いているのです。そしてその内容は、タイトルからもわかるとおり、“意味”という言葉が異様に出てくるのです。

 となると、この『意味のないもの』というのは、『青い帽子』を意識して書いたように思われるのですが、これがそんなことは全くなくて、この『意味のないもの』を書いてた時点でも、そして今回改めて『青い帽子』を読むに至るまで、『青い帽子』にこんなに“意味”という言葉が出てくるなんてすっかり忘れていたのです。

 ということは、今から10年前の自分も、5年前の自分も、“意味”について強く思うことがあったってことなんでしょうかねェ。自分では今も昔もそんな自覚はなかったのですが。

 ただ、同じ“意味”という言葉を使っていても、10年前と5年前とでは、捉え方というか定義付け方が少し違っていることがわかりました。

 10年前では、“意味のないものはない”とし、“意味はこれから生み出し、これから見つけるんだ”と言っています。

 それに対して5年前では、“意味のないものはない”とここまでは同じですが、その後に“意味のないこと自体、意味あること”と言っています。

 つまりは、5年という月日が過ぎ去る間に、意味を生み出したり見つけたりといった行為をしようなどとは端から考えることなく、いわば達観しているかのように“意味のないものなどない=全てのものに意味がある”という定義付けになったわけです。ただ単に怠け者になっただけかもしれませんが....。

 となると気になるのが、それからさらに5年後、つまり今現在の自分にとって“意味”をどう定義付けているのか?ということです。“意味のないものなどない”という基本的なことは変わりないとは思いますが、そこから先がどのように変わっているのか、いないのか。ぜひとも今現在の“意味”について書いてみたいですね。

 ただ、今も昔と変わらずに、頭を空っぽにして筆の動くままに書こうとしないと全く書く気にならないことは変わりないので、“意味”について書こう!!と気合入れても全く書けないんですよね。だから適当になんかの話を書いといて、それで出来上がってみたら“意味”について書いていた、という日が来るのを待つしかありません。
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 とまあ、あくまで保存目的が第一の、自分のための自己満足な今回のブログへのアップだったわけなのですが、最後の6話目をアップした翌日に予期せぬ出来事が。

 なんとこの6話のところにトラックバックが送られていたんですね。普段からトラックバックなどほとんど来ないのに、何故によりによってこんな小説もどきに送られてくるの?どうせエロサイトの迷惑トラックバックなんじゃないの?と思いながらも一応そのサイトを見てみたら、そこには数々の帽子の写真が....。

 これは、ネット販売サイトの、帽子のページだったのです。これを見た瞬間“やられた!”って思っちゃいましたね。青い帽子を探している老人が出てくる話を読んでいって、最後まで読み終わった後でトラックバックされているサイトへ飛ぶと、自分の好きな帽子を選ぶことが出来る。これでこの話に“オチ”が付いたことになりますからね。なんかこのトラックバックを含めて一つの作品となったように感じました。

 このトラックバックを送ってくれた人が『青い帽子』を全て読んでくれたのかどうかは知りませんが、こんな拙い話なのに、このような形ではあっても他者の手が加わわったことによって、“自分だけの世界”からほんの僅かとはいえ外に出ることが出来たわけですから、これはもうホントに感謝したいですね。

 というわけで、“このトラックバック先のサイトも含めて一作品”ということにしたいと思います.....。


(後日追記)
 トラックバックが付いたのは旧ブログでの更新時なので、現在はトラックバック先のサイトを観ることが出来ない状態となっています。

2007年1月 8日 (月)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(六)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (六) 】


 「青い帽子」(五)からの続き.....


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 窓の外を見てみると、あの老人が別のバスを待つためにさっきと同じ場所に立っていた。隣には、これから勤め先に向かうのであろう、紺色のスーツを着た綺麗なお姉さんがいた。別にスッピンでも綺麗な顔なんだろうが、結構濃い目の化粧をしていた。でも、それは嫌な濃さではなく、素顔の美しさを残したまま、さらにその魅力度をアップさせているような感じだ。といっても素顔がどんな感じなのかは知らないのだが。とてもセンスの良い化粧品を使っていそうなので、もしかしたら化粧品会社に勤めているのかもしれない。老人は、そのお姉さんには青い帽子について聞いてはいないようだ。誰彼構わず聞きまくるわけではないのだろうか。少しうつむき加減にしながら、物思いに耽っているように、ただじっとしている。


 こうして少し遠目から見てみると、近くで見ていたときとは違い、なんか以前にもこんな感じの老人に会ったことがあるような気がした。いわゆるデジャヴというやつだ。記憶の片隅に、何か引っかかるものがある。でも、この老人ではないことは確かだ。それだけは断言できる。この老人とは今日、初めて出会った。間違いない。この老人ではないが、雰囲気が似た感じの、いや、もしかしたら全然違うかもしれない。それはわからないが、ある老人のことが記憶の片隅を横切った。僕は老人とは縁がないと思っていたが、遠い昔に何か接点があったのかもしれない。


 両手で両目を隠し、暗闇はあるが静寂はない世界を作って思い出そうとしてみた。でも、これ以上のことは思い出せない。一体その老人といつ、どこで、どのように会って、僕とはどんな関係で、どんな顔をしていて、どんなしゃべり方をしていたのだろうか。全く思い出せない。それが本当に年取った老人であるのかどうかも怪しいもんだ。


 あと少しではっきりと思い出せそうなのだが、そのあと少しというのが実は何万光年も離れているのかのように思い出すことができない。だめだ、わからない。モヤモヤしたものが残りそうだが、こういう時はキッパリと諦めてしまうのが肝心だ。悔しいけれども、思い出せないものはしょうがない。


 諦めた瞬間、バスのエンジンがかかった。僕が諦めるのを待っていたかのように。手で覆っていた顔を上げると、バスの中は、太陽の光が右側の窓から差し込まれ、手で目を押さえつけていたこともあり、綺麗なセピア色になっていた。すごく古びた感じに見えた。一気に五十年ほど過ぎてしまったように思えた。


 五十年経てば、僕は七十歳だ。あの老人と同じ位の歳になる。そのくらいの歳になった時、僕は一体何を考えて生きていくのだろうか。やはりあの老人のように、自分が生まれてきた意味を探すのだろうか。生まれてきた意味。僕が生まれてきた意味。そんなものがあるのだろうか。


 僕が死んだ後、僕が最初からいなかったように時が流れていくのは、やっぱり嫌だ。はっきりと思い出すことのできない老人のように、関わりあった人達から忘れ去られてしまうのは嫌だ。でも、この世に生まれてきたほとんどの人が、そして動物や植物、その他この世の中に存在したありとあらゆるもののほとんどが、そうやって忘れ去られてゆくのだ。それは決して避けられない運命なのだ。それならば、僕自身納得した形でこの世から去りたい。僕という存在が無駄ではなかったことを確かめてから、この世から去りたい。


 今まで生きてきたこの二十年間、僕も、まああの老人ほどとはいかないが、様々な出来事を掻き分けながら進んできた。受験戦争を体験したし、後悔ばかりの恋も経験してきた。僕としてはそれほど良い二十年だったとは思ってはいない。だが、これからさらにたくさんの出来事が待っている。この二十年を肥やしとして、まだ未知の未来へと飛び立っていくのだ。僕が生まれてきた意味を作っていくのもこれからなんだ。これから何十年もかけて、その意味を作り上げていくんだ。まだまだこれからだ。


 老人と同じくらいの歳になった時に、自分が生きてきた意味を見つけて、そして安心して老後を送って死ねるように、これからの人生を精一杯生きていこう。後悔なんて絶対にしない。後悔したまま、人生のラストを送るなんてまっぴらだ。きっと意味を生み出して、そしてそれを見つけだしてみせるぞ。月曜日の朝早くにバスの中で、こんな他人が聞いたら恥ずかしいようなことを考えている自分を、なんて馬鹿馬鹿しいんだろうと思う一方で、何ともいえない清々しい気持ちに浸っていた。


 バスが動き始めた。立ち去りがたい気もしたが、僕は未来へと走り出しているのだ。同じ場所にじっとしているわけにはいかない。いまだバスを待つ人々の列とすれ違う時に、ふと老人の方を見てみると、その頭には、青い帽子が、青い光を放ちながら、まるでそこが世界で一番落ち着く場所であるかのように、静かに乗っかっているように見えた。目の錯覚かとも思ったが、セピア色の風景に中で、その青い光だけが、はっきりとした原色で光っていた。


 目が合うと、老人は、その青い帽子のつばを軽く指で押さえて、今まで僕が見てきたどんな笑顔よりも素晴らしい、いつも通りの微笑みを送ってくれた。それを見たら、僕も、今まで僕が見せてきたどんな笑顔よりも素晴らしい微笑みを、無意識のうちに浮かべていた。


 そして、ああ、この老人は、きっと近いうちに、この老人にとっての素晴らしく立派な青い帽子を、見つけることができるんだな、と思った。それから、そんな老人を、うらやましく思った。


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  「青い帽子」(あとがき)へ続く.....

2006年12月15日 (金)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(五)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (五) 】


 「青い帽子」(四)からの続き.....


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 バスがやって来た。このバス停は、大学行きと団地行き、市民病院行き、駅の南口行き、そして今年四月から新たに加わった公民館行きの五種類のバスが来るのだが、今来たのは僕が待っていた大学行きだった。十五分も遅れてやっと来た。


 バスの中にはここ終点で降りる人達がぎゅうぎゅうに詰め込まれている。そして、前の乗降口から一人ずつ降りてゆく。後払いで、両替えをしている人も結構いるので、その降りる速度は遅い。僕はこの待っている間が嫌で、一気に降りてもらいたいのだが、まるでこのバスが便秘気味であるかのように、一人ずつゆっくりとゆっくりと搾り出されてゆく。


 それを見ながら、老人も僕と同じバスに乗るのだろうか、と考えた。もしもそうなら、大学に着くまでの三十分の間、ずっと青い帽子について聞かされるのだろうか。でもそんなに嫌ではない。


 「君はこのバスに乗るのかね」


 「ええ、そうです」


 「そうかそうか。いやあこんな年寄りのくだらん話を聞いてくれて、本当にすまなかったのう。青い帽子の意味を見つけだすのにあとどのくらいの年月が必要かはわからんが、まあ頑張ってみますよ。君も勉強の方を頑張ってくださいな」


 そう言って老人は、いつも通りの微笑みを浮かべながら、軽く会釈をしてくれた。僕も会釈を返して、全ての排泄物、いやいや全てのお客様を搾り出したバスに乗り込もうとしたが、なにか老人に一言言いたくなった。


 「あなたにとっての青い帽子が早く見つかるといいですね」


 とっさのことだったので大したことは言えなかったが、たぶん気持ちは伝わっているだろう。老人は、いつも通りの微笑を浮かべながら、うんうんと二回ほどうなずいてくれた。それを見て僕はバスに乗り込んだ。


 僕はバスに乗る時は必ず一番後ろの左端の席に座ることにしている。先を越された時は別だが、たいていはこの席に座る。いつも始発から乗るので、かなりの確率でこの席に座ることが出来る。もちろん今日も大丈夫。なぜだかはわからない。どうして一番後ろの左端が良いのかは、自分でもわからない。でも、これは僕がバスに乗る時にやってしまうことに関わりがあるのかもしれない。


 バスに乗るといつも、そのバスに同乗している人を観察している。そしてその人達が、どんな職業で、どういった生活をしていて、どんな性格で、このバスに乗る前に何をしていて、バスを降りたらどこへ行って何をするのか、というようなことを、一人一人想像するのだ。


 例えば、先週バスに乗っていて、やはりその時もいつものように一番後ろの左端の席に座っていたのだが、途中のバス停からとても体の大きい人が乗ってきた。横幅もかなりのものだが、身長も高かったので、太っているというよりは大きいというように見えた。


 その大きさは尋常なものではなく、八畳の部屋が四畳半に感じられ、エレベーターに一人で乗っていても満員に感じられ、サッカーのゴールキーパーを務めていればどんなシュートでも体に当たって弾かれてしまいそうなくらいの大きさだった。


 相撲取りと比べても遜色ないくらいに大きいので、一人用の席にはどうやったって座れるわけがない。ちょうどその時はバスに五、六人しか乗っていなかったので、後ろにある二人用の席はほとんど空いていた。そのため、ホッとしたような表情をして、体を左右に揺らしながら、後ろの方へと向かってきた。運転手も気を使ってか、その人がある程度奥まで入るまでは、バスを止めらままにしていた。


 その体の大きい人は、上下紺のスーツを着て、ストライプのネクタイをして、小さいかばんを持っていた。小さいといっても、それはその人が持っているから小さく見えるのであって、実際には普通の大きさなんだろう。髪形は、ボサボサした感じではあるが、全体的に見て、これといった特徴のない、普通の髪型だった。


 どんどん近づいて来るにしたがって、その大きさが改めて実感できた。でも、あんまりジロジロ見るのはまずいので、外の景色を見ているふりをしながら、チラチラ見ていた。しかし、そんなことをするのは無意味だった。僕のすぐ前の席に座ったのだ。


 目の前で見ると、その大きさは唖然とするものだった。大きいという言葉も当てはまらない。デカイ。なにせ、二人用の席でちょうどいいのだから。少々大袈裟に言えば、それでもキツそうなくらいだった。いや、体が大きいのだから、大袈裟に言っても構わないだろう。肩幅が座席一杯にまである。その上に大きい、いやデカイ頭が乗っかっている。普通の髪型と言ったが、僕の頭にその人の髪の毛を付けるとロン毛になりそうなくらいだ。


 スーツも、目の前で見ていると尋常ではなくデカイ。普通のスーツの何倍くらい生地を使っているのだろうか。シャツも、ズボンも、そしてパンツまでも、特別に作ったものなんだろう。何か身に付けるものを買おうとするたびに、特注で作ってもらわなければならないなんて、とてもご苦労なことだ。


 その人が乗ってきたバス停の近くには、中学校がある。その他にはこれといったものが無いような場所だ。平日の午後六時半過ぎに駅まで行くバスに乗っているのだから、仕事帰りに違いない。とすれば、その学校の先生である可能性は高い。この体だとすると、体育の先生ではないはずだ。生徒にお手本を見せられるものといったら、相撲と柔道くらいしかないだろうから。美術でもないだろう。あのグローブのような手では、細かい作業は苦手そうだ。やはり技能系の教科ではないに違いない。


 だとしたら国語か社会か。僕の経験上、これらの教科には少々太めの先生が多いようだった。以外にも数学かもしれない。体がデカイわりに、細かい計算が得意だったりするのかも。英語はどうだ。このデカイ体は、アメリカの広大な大地と栄養満点のゴージャス・フードで養われたのかもしれない。帰国子女であれば、英語は大の得意であるはずだ。いや、それらの教科ではこの偉大なる体は何の役にも立たない。逆に邪魔な存在になってしまう。この体を生かせるような教科などあるのだろうか。


 あった。音楽だ。音楽があった。この大きな、いや、デカイ体の中に、声を余す所無く幾重にも反響させて、それを溜めに溜めて、ここぞという時に一気に、富士山の火口のようなデカイ口からアルトの重低音バズーカをぶっ放すのだ。普通に歌っただけで、このバスの中に歌声が響き渡り、その低音からして地響きの様に感じられ、大きな振動を与えそうだ。思い切り大声で歌ったら、その歌声は一キロメートル四方に響き渡り、道路脇に流れる川に住む鯉は一度跳ねた後に気を失ってプカプカと浮き上がり、空高く飛んでいる鷹は瞬く間に落下するだろう。


 もしかしたら顔に似合わずテノールかもしれない。女性顔負けの高音。それに男特有の力強さが加わって、ありとあらゆる人々を魅了するくらいのレベルにまで達するのだ。しかしコネや派閥の問題などで賞からは見放され、その才能は世間へ知られることなく、今はしがない中学校の音楽教師に収まっているのだ。だが、未だにシンガーの夢を諦めきれず、こんな所でいつまでもくすぶっていないぞ、と密かにチャンスを狙っているのだ。


 そう考えると、この人への見方が大きく変わってしまった。今まではデカイ体のことばかり気になっていたのだが、今ではこの人の声にことが気になり始めた。ものすごくこのひとの声を聞きたくなってきた。実際にはどんな声をしているのだろうか.....。


 といった具合に、いつもバスに乗り合わせている人のことを想像して遊んでいる。もう何年もそうしているので、今では自然に、いつのまにやら想像し始めている。しかも最近では、バスの中に限らず電車の中や街で見かける人などにもこうやって想像するようになってしまった。それに、これは別に一番後ろに座っていなくても出来ることだ。


 それなので、これはバスの一番後ろに座る理由にはなりえないだろう。いつも理由もなく一番後ろの左端の席に座っているわけだ。新聞をスポーツ欄から見たり、牛乳を飲む時に腰に手を当ててしまうのと同じように。習慣になってしまったのだ。こんないつも何気なくやっているような行動にも、何か凄い意味があるのかもしれないな、と思った。今度誰かに聞いてみようかな、『バスの一番後ろの左端の席について教えてほしいのじゃが』と。


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  「青い帽子」(六)へ続く.....

2006年11月21日 (火)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(四)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (四) 】


 「青い帽子」(三)からの続き.....


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 僕がそう言うと老人は、熱意という名のオーラが充満しているまんじゅう屋から目を離して、僕の方へと視線を移した。その瞬間、太陽の光が老人の掛けている丸眼鏡に反射して、僕の顔へと向かってきた。その神々しいまでの光を受けて、思わず目をつむってしまった。


 目の前が真っ暗になり、周りの音が全く聞こえなくなった。さっきまで騒がしかった周囲の人々のざわめきも、目の前を行き交うバスのエンジンの音も、一日の始まりを不安と期待を交えて呼び掛ける鳥たちのさえずりも。何もかも聞こえなくなってしまった。まるで異次元の世界に入り込んでしまったかのように。


 何もない世界。ただあるのは静寂と暗闇のみ。その静寂と暗闇も、時間が経つにつれてだんだんと消えていってしまう。そしてたどり着くのは本当に何もない世界。僕の存在自体も消えてしまう世界。精神も肉体も。何もかも消えてしまう。僕がこの世界に入り込む意味はあるのだろうか。そんなものはないだろう。全ての意味さえも消えてしまう世界。意味するものなど存在しない世界。


 あの老人もこの世界に来ればもっと楽に生活することが出来るのに、と思ってみても、その考えもすぐに消えていってしまう。そしてどこかわからない、ずっとずっと奥の方へゆっくりとゆっくりと落ちてゆく。それは別に落ちてゆくのが見えるのではなく(暗闇さえもない世界なのだから)、肌に感じるのでもなく(僕の身体も存在しないのだから)、ただなんとなくわかるのだ。僕の存在自体消えてしまったのに、周りの物全てが消えてしまったのに、それなのにただなんとなくわかるのだ。そんな不思議な気持ちさえも、ゆっくりとゆっくりと落ちてゆく。


 そのうちに自分自身もゆっくりとゆっくりと落ちてゆくのがわかる。僕の存在などもうすでに消えてしまっているのに。ただなんとなくわかるのだ。ただなんとなく。落ちてゆく先には一体何があるのだろうか。何もないだろう。このまま落ちてゆくと一体どうなってしまうのだろうか。どうにもならないだろう。何もない世界なのだから。このまま流れてゆく時間に身を任せて、ただただ落ちてゆくだけなのだ(実際には時間など流れていないが)。


 でも僕はわかっている。落ちてゆく先に一体何があるのか。この何もない世界に、ただ一つ存在しうる物があることを。それに向かって今落ちていっているのだ。だんだんと見えてくる。まだ遥か先の方にあるが、ぼんやりと見えてくる。


 でも僕にはそこにあるものがわかるのだ。時計の短針が一日に二度「9」という数字を指すくらい確実に。常昭寺の和尚さんが、夕暮時に吉克という小坊主の一人を呼んで、「おい、吉克。おまえちょっとこっちに来い。この三百七十六年にも及ぶ常昭寺の歴史の中で、最も尊いものと言い伝えられているこのケヤキの木。おまえこの木に小便をひっかけたそうじゃな。なんちゅうことをしてくれたんじゃ。この罰当たりめが。この先祖代々奉ってきた木を何だと思っとるんじゃ。えらいことをしおって。もうおまえみたいな奴はこの鍾乳洞にでも入っとれ。このクソガキめが」と叱られた吉克が、涙を流すのを一生懸命堪えているのに、ほんの一滴が子羊のような眼からこぼれたのをきっかけに、次から次へと涙がとめどなく落ちてしまい、「もう二度とこんないけないことはしないぞ」と心に誓うには誓うのだが、三日もすればすっかり忘れてしまい、またいたずらに精を出すことになるくらい確実に。そのくらい確実に、そこにあるものが僕にはわかるのだ。


 しばらくすると、ずっと下の方に何やら光るものが見えてきた。だんだんとその光の方へと近づいている。その青い光はまだぼんやりとしているが、その形は次第にはっきりとしてくる。何もない世界に唯一存在するもの。あの老人が人生を掛けて探し求めているもの。それは、青い光を放ちながら、次第に僕の方へと近づいてくる。いや、僕の方が、その唯一の存在に向かって近づいているのかもしれない。そんなことは別にどっちでもいい。とにかく近づいているのだ。もうすでにはっきりとした形を捉えることが出来る。それは見えるのでもなく、肌で感じるのでもなく、ただなんとなくわかるのだ。ただなんとなく。


 そして、その唯一の存在に、そこにあるはずのない手が届きそうになった瞬間、どこからともなく、さっきまで騒がしかった周囲の人々のざわめきや、目の前を行き交うバスのエンジンの音や、一日の始まりを不安と期待を交えて呼び掛ける鳥たちのさえずりが、大音響で鳴り出した。後に残るのは暗闇の世界だけ。しかし、そこから脱出するには、ただゆっくりと目を開ければ済むことだ。ただゆっくりと、ゆっくりと。


 「青い帽子にここまでこだわってしまうのは、もはや意地でしかないのかもしれん。青い帽子を求めてもう二十年くらい経ってしもうた。それでもその間に大したことは何もわからんかった。だがもうここまで来たら、後に残るのは意地だけじゃ。必ず何らかの意味を青い帽子から掴んでみせるんじゃ。きっと掴むことができるはずじゃ。それがわしの人生なんじゃ。

 青い帽子の意味を求めるきっかけは忘れてしまったが、そんなことは関係ない。いや、もしかしたら、そのきっかけを思い出すために、こうして青い帽子について調べているのかもしれんのう」


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  「青い帽子」(五)へ続く.....

2006年10月31日 (火)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(三)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (三) 】


 「青い帽子」(二)からの続き.....


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 「人間というものは、何かを求めずには生きていけないと思うんじゃ。何かを求めなくてはのう。ある人は、名誉かもしれない。ある人は、お金かもしれない。またある人は、愛情かもしれない。それは、まあ人によって、求めるものは違うじゃろう。人それぞれ顔が違うように。生命線の長さが違うように。

 まあ、求めるものが全く一緒ではなくとも、何かを求めるという行為自体は、全ての人が必ずやっているものなのじゃ。それは人生そのものなのじゃ。人生を掛けて、何かを求めるものなのじゃ。何かを求め続ける限り、人生は終わりのない旅となるのじゃ。わしの場合は、青い帽子が、人生を掛けて探し求めるものなんじゃ」


 老人の話をぼんやりと聞きながら、幻想のまんじゅうを胃の中に流し込むと、そこからイライラが発生してきた。


 一体この老人は何が言いたいんだ?人生がなんだって?求めるものがなんだって?なんで朝っぱらからこんなわけのわからない話を聞かなければならないんだろう。イライラが、見る見るうちに、胃の中から繁殖し始めた。これは、バスがもうすでに来てしかるべき時間なのに、一向に来る気配がないことも影響しているのかもしれない。でも、この時間帯にバスが遅れるのはいつものことであり、もうそのことには慣れてしまっているので、いつもはそのことに関してはそれほどイライラしないのに、この老人のへんてこりんな話を聞いているせいで、今日はいつもと違いイライラしているのかもしれない。


 一体バスのせいなのか、老人の話のせいなのか。どっちが原因なんだろうか。両方ともそうなのかもしれない。両原因が相乗効果を生み出して、いつもは現れない、イライラという感情を繁殖させたのだ。老人の話を聞いている結果、バスが来るのが遅いことにイラついているのであり、バスが来るのが遅い結果、老人の話にイラついているのだ。でも、僕としては、老人の話を聞いている結果、バスが来ないことにイラついている方が割合が大きいような気がする。それは、バスが遅れる確率よりも、この老人の話を聞く確率の方が低いからだ。


 この時間帯のバスが遅れるのは、今までの経験からいってだいたい九十五パーセントくらいだろう。それぐらい、時間通りに来ることなど滅多にないのだ。たまに、本当にたまにだけ時間通りに来るのだが、それは、僕が『どうせいつも遅く来るんだから、ちょっとくらい遅れて行っても大丈夫だろう』と高を括っていた時に限って起きるのだ。


 それに比べて、この老人の話を聞くことは、このバスを待つ列にちょっとでもずれて並んでいれば避けられたのだから、まあ、多くても一パーセントほどか。乗った電車の車両の違いや、バス停まで歩く速度の違いなどの、ちょっとした違いがあればよかったのだ。そんなちょっとした違いがあれば、老人の隣でバスを待つことはなかったのだ。


 こんな確率の少ないことに当たるのならば、良い事で当たれば良かったのに、という悔しいような悲しいような思いが、まだイライラの繁殖する速度を速めている。本当に運が悪かった。やっかいなことに巻き込まれてしまったな、と思ったが、まあこうなったら仕方がない。ここでこの老人の話を聞くことを止めてしまえば、老人の今後の人生において、人間不信や対若者拒絶症などの症状が表れないとも限らないので、もう少しだけ付き合ってあげることにした。


 「青い帽子を求めることに何の意味があるんじゃろうか。もしかしたら意味など無いのかもしれん。無いかもしれんけど、無いと言ってしまえばそれで全てがお仕舞いじゃ。何もせぬうちから諦めてしまうのは我慢ならん。たとえ青い帽子そのものに大した意味など無いのであっても、その意味を探る過程に、自分にとってかけがえのないものが見つかるかもしれんしのう。

 この世界の在りとあらゆるものの中で、意味の全くないものなど存在するはずがないとわしは思うんじゃ。何かしら意味はあるはずじゃ。その意味を見つけることによって、わしがこの世に生きてきた証、生まれてきた意味がわかると思うんじゃ。

 この七十五年、わしはいろんなことを体験してきた。楽しいこともあったし、辛いこともあった。戦争も体験したし、淡い恋も幾度か経験してきた。じゃが、死んでしまえば、そういったわしが今まで体験してきたことは全て消えていってしまう。死んでしまえば、わしの存在など無くなってしまうのじゃ。残された家族には、記憶としてわしのことが残されるじゃろう。じゃが、記憶というものはすごく曖昧なものじゃから、もはやそれはわしであってわしでない存在なのじゃ。わしによく似た別人なのじゃな。

 そんなたかだか百年にも満たない間、命を伴って生きてきたちっぽけな存在のわしが、この世に生まれてきた価値は、生まれてきた意味はあるのじゃろうか。ひとりの人間としての立派な使命を果たすことが出来たのじゃろうか。それがとても不安なのじゃ。

 全てのものに意味があるのじゃから、きっとわしにも、こんなわしみたいな存在にも、意味はあったはずじゃ。その意味が何なのか、この目で確かなものを見てみたい。そうでないと死んでも死にきれん。そこで、その確かな意味というものを、青い帽子を探ることによって見つけようとしているんじゃ」


 自分の生きてきた意味を見つけるというのはわかる。でもなぜ青い帽子なんだろう。青い帽子でないといけないのだろうか。青い帽子に何のこだわりがあるんだろう。この世に存在する全てのものに意味があるのなら、別に青い帽子でなくてもいいのに。他のものからその意味を探した方が見つけやすいだろうに。それとも、何でもいいから意味を求めているというのではなくて、青い帽子に付属する意味を探ることに何か重要な意味があるのだろうか。イライラをなるべく表に出さないように気を付けながら、そのことを聞いてみた。


 「でもなぜ青い帽子なんですか」


 「いやいや、特に深い意味はないんじゃ。何かキッカケがあったと思うんじゃが、もうずいぶん前のことじゃから、忘れてしもうたのう。もう日常的な習慣になってしまっとるからのう。いつのまにやら忘れてしもうた。まあ大したキッカケではなかったと思うんじゃが」


 と言って老人は、未だまんじゅう屋を眺めながら、白髪の中にちょこっとだけ黒髪を見ることができる頭をポリポリとかいた。


 「でも、青い帽子じゃないといけないんですね」


 「うむ、そうじゃな」


 「なぜそんなに青い帽子にこだわるんですか。別に他のものでも構わないじゃないですか。例えば、緑色の靴下とか、黄色の目薬とか、虹色の筆箱とか。大したキッカケじゃないのなら、青い帽子にこだわる必要はないんじゃないですか。青い帽子の意味するものが、あなたにとって何の価値もないものならば、取り返しのつかないことになってしまいますよ。

 それに、青い帽子なんて、そのもの自体が大雑把すぎて、意味を探り出すのにかなりの労力が必要ですし。無駄な情報もたくさん出回っているだろうし。それよりも、もっとこう、あなたの身近にあるもので、具体的な何か、例えばブランド名とか、その物の材質とか、そういう細かいところまでわかっているようなものについて、しかも図書館とかそういうちゃんとした場所で調べた方が、確実にあなたが求めている意味を探し出すことができると思うんですけど」

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  「青い帽子」(四)へ続く.....

2006年10月24日 (火)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(二)

MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (二) 】


 「青い帽子」(一)からの続き.....

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 「青い帽子について何か知っていることがあれば、教えてほしいのじゃが.....」


 今度はいくらか老人の言葉が頭に入ってきた。先ほどは、突然のことに、耳も言葉を取り入れる準備が出来ていなかったのか、頭まで回す仕事をし損なったのだろう。しかし今回は確実に、耳の、耳としての、耳のすべき仕事を果たしたようだ。それでこそ僕の耳だ。そこで老人の言葉について考えてみた。


 青い・・・・帽子?

 青い帽子。

 青い帽子!!!


 ここで最初に老人に話し掛けられた時と同じ状態になった。再び頭が回らなくなった。思考の不回転。しかし本当に回転していないのだろうか。たぶん回転はしていると思う。ただその回転は普通の回転とは違うのだろう。いつもより回転が速いのだろうか、遅いのだろうか。


 または、回転し始めてしばらくすると止まってしまうのかもしれない。そして止まったらまた回転し始める。そしてその回転が頂点に達する直前で、再び止まってしまう。永遠の繰り返し。まるで壊れたCDデッキのように。


 または、回転していることはしている。しかし、検索すべきキーワード(今回の場合は「青い帽子」)を<大脳>の中からリサーチできないのかもしれない。『ただ今検索中です』という表示が出たきり、いつまでも待たされるのだ。『お探しのキーワードは見つかりませんでした』と出れば諦められるのだが、僕の大脳の容量は無限だ。『ただ今検索中です』という表示は消えないだろう。消えなくても何かを口に出さなければ。とにかく何かを。


 「青い帽子ですか」


 「そう、青い帽子。青い帽子について知っていることを教えてほしいのじゃが」


 これで同じことを三回も言わせてしまった。二回目まではまだ許せる。しかし、三回も同じことを言わせてしまっては、誰でも怒ってしまうだろう。たとえ相手の説明が悪くても、発音が悪かったり、声が小さかったりしてよく聞き取れなかったとしても、つまり話し手に非があったとしても、「三回も同じことを言わせやがって!冗談じゃない!」となるはずだ。


 しかしこの老人は、別に怒ったようには見えず、むしろ薄っすらと微笑みを浮かべているように見えた。丸眼鏡の奥にも笑みのようなものがキラリと光るのが感じられた。


 ただ、その微笑みは、心底からにじみ出ているというようなものではなかった。まるで、コンクリートで顔の表面を幾重にも塗られ、その上を誰かが塗り立てだとは知らずに誤って歩いてしまい、足跡が付いたままの状態で固まってしまったかのように、シワだらけの微笑みに少しの変化も見せなかった。この顔は、老人にとっては微笑みではなく、何十年も積み重ねてきた平常の顔で、いつでも、どこでも、誰にでも、どんな時でも、たとえアメリカワールドカップのアジア最終予選で起きたドーハの悲劇を生で観戦していたとしても、その微笑みは変わることはないのだろう。


 そのため、あまり良い印象は持てなかった。作り笑顔のように見え、心の中では何を考えているのかわかったもんじゃなかったが、まあ怒っている顔をしているよりはましだな、と思うことにした。


 「別に教えるような大したことは知らないですけど」


 「いやいや、そんなたいそうなことじゃなくてもよろしいんじゃ。ほんに些細なことで....、例えば、小さい頃にこんな青い帽子をかぶっていたとか、最近街でこんな青い帽子を見かけたとか、どんなことでもいいんじゃ」


 しかしまだ『ただ今検索中です』という表示は消えていない。


 「昔、青い帽子をかぶったことがあるかもしれません。街で青い帽子を見たかもしれません。友達の中で青い帽子を持っている人がいるかもしれない。でも、今はどうしても思い出せません。すみませんが、ちょっとお役にはたてそうもないですね」


 がっかりさせてしまったかな、と顔色を伺ってみると、あの薄っすらとした微笑みはまだ固まったままだった。顔の四分の一ほどにかかっている太陽の光が少し眩しそうにも見えた。その部分だけ、コンクリートが剥がれてきているようにも見えた。


 「いやいや、急に見ず知らずの人にこんな突拍子もないことを聞いたんじゃ。すみませんはこっちが言う台詞じゃ。突然聞かれても、すぐに答えられるようなことじゃないわなぁ。いやぁ、すまん、すまん。年を取るとせっかちになっていかん。直そう直そうと思っとるんじゃが、どうしても物事をせっかちになって進めてしまうんじゃ。どうにかならんもんかなぁ。

 今回のことだって、前置きをしてから聞くべきじゃったのに。そうすれば、相手を驚かしてしまうことはないのじゃから。しかし、前置きを付けようにも、付けようがないからのう。天気の話や政治の話や『バスがなかなか来ませんねェ』というような話からしても、青い帽子とは何の脈絡もないから、やっぱり相手を驚かせてしまう。どうせ驚かせてしまうんなら、前置きなど付けん方が楽じゃわい。今回はこれで良かったのかもしれんのう」


 老人は独り言のように話し続けた。目線も、僕の目から、このバス停の真正面にある、営業前のまんじゅう屋の方へといつの間にか移っていた。老人の話の途中で相づちを入れようかとも思ったが、老人の頭の中には僕はもう存在していないようなので、僕も視線をまんじゅう屋の方へ移して黙っていた。


 開店までまだ時間があるようだが、店内では、白い割烹着を着たオバさんが三,四人、忙しそうに働いているのが見えた。こんな朝早くから仕事をしているなんて感心してしまう。それだけまんじゅうに対する熱意があるのだろう。まんじゅうに対する熱意。いつも何気なく口にしているまんじゅうにも、やはり作っている人のまんじゅうに対する熱意が、ベテラン指揮者のごとく、餡の香ばしさと皮のふくよかさが奏でるハーモニーを上手に引き出し、これぞ正真正銘の、まんじゅうの中のまんじゅうだと言わしめるレベルにまで持っていくのに、一役買っていたのだ。そして、熱意のこもったまんじゅうを、今すぐ喉の奥へと突っ込みたい気分になった。喉のずっと奥の方へと....。


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  「青い帽子」(三)へ続く.....

2006年10月22日 (日)

MDB的短期連載小説「青い帽子」(一)

【 MDB的短期連載小説 「青い帽子」 (一) 】


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 突然、老人に声を掛けられた。あまりに突然のことに、一体何が起こったのか理解できなかった。顔を見ても、今までに見たことのない顔だ。それもそのはず、僕には老人の知り合いなどいない。老人との会話も、ここ何年としていない。とにかく老人というものとは縁がないのだ。それなので、声を掛けられても、自分とは全く関係のない世界で起きている出来事のようで、つい呆然としてしまった。


 駅前に広がる喧騒としたバスターミナル。その中央左端に位置するこのバス停に並んでいるのは僕以外にも大勢いたので、別の人に話し掛けているのかとも思った。しかし、老人の目は真っ直ぐ僕の目に注がれている。丸眼鏡の奥にある目はとても細く、開いているのかどうかさえ疑わしかったが、それでも眼力のようなものが感じられたので、僕の目を見ているのだろうということは何となくわかった。その何となくさがまた僕を混乱させた。


 それ以上に混乱を招いたのは、老人の声だ。本当に老人が話しているのだろうかと疑うくらいに、高く、か細い声でささやいたのだ。まるで若い女の人の声のように。それでも不思議と聞き取れないわけではなかった。周囲の人々のざわめきや、目の前を行き交うバスのエンジンの音、一日の始まりを不安と期待を交えて呼び掛ける鳥たちのさえずり。それらが奏でる騒音の中にあって、老人の声はとても小さいのだが、まるで老人の声だけ他の物音よりも優性遺伝子を多く持っているかのように、やけにはっきり頭の中に入ってきた。突然のことに、言葉の一つ一つを理解することはできなかったので、何を言っていたのかはわからなかったのだが、声の響きだけが脳の奥の方までコダマするのだ。


 しかし、周りの人たちにはこの老人の声が聞こえてはいないようだ。僕以外の耳に届く前に、その声の高さゆえに、空気中を徐々に徐々に昇り上がり、空の彼方へ飛んでいってしまうのだ。距離的に僕の耳は届く位置にある。僕の耳にも届いていなければ良かったのに、と思っても仕方がない。間違えて届けられた宅急便のように、送り返すことなどできないのだから。老人の口から発送された宅急便を、サインなしで受け取らなければならない。いや、サインはしなくては。ただ黙ったままでいては、老人は不快な気分になるだろう。そして、


 「まったく、最近の若者ときたら。皆さん聞いとくれ。ほれ、梅ばあさんも、いつまでもそんな植木鉢など見とらんで、こっちに来なさい。それには何も生えとらんだろうが。まあいい。とにかく聞いとくれ。最近の若者ときたら、全く礼儀がなってないのじゃ。ほんにそうなんじゃ。一体どういう教育を受けてきたんじゃろう。わしにはわからん。わしにはわからんのじゃ、あやつらの考えなど。わかりたくもない。一体何様じゃと思っとるんじゃ。大勢で街中をダラダラと歩きおって。それに、だらしないオベベを着て、わけのわからん言葉をしゃべっとるし。なあ、雁じいさん。あんたもそう思うじゃろ。

 うん、うん。やはり世も末じゃのう。こんな世の中でいいのじゃろうか。いや、いかん。いかんいかん、いかんのじゃ。わしらの若い頃などは、目上の人と話をする時には、『はい』か『いいえ』しか使ってはならんと教えられたもんじゃ。それ以外の言葉を使おうものなら力道山の空手チョップばりの強烈なゲンコツが降ってきてのう。あれはほんに痛かった。しかも、『はい』と『いいえ』しか使ってはいかんと言っておきながら、『いいえ』と答えると、『おまえは、このわしに逆らうのか!その根性叩きなおしてくれるわ!!』と言ってやっぱり強烈なゲンコツなのじゃ。全くまいったもんじゃった。それでも、今の時代よりは比べようもない位に良かった。わしらの時代は良かった。ほんに良かったのう.....」


 などと、町内の老人会か何かで話題にされてしまう。こう見えても僕は、電車やバスに座っている時に近くに老人が立っていれば、そっとその場から立ち去ってさり気なく席を譲るし、エスカレーターに乗るのにタイミングがつかめず時間が掛かっていても、根気良く後ろで待ってあげているのだ。たった一回の失態で悪く言われてしまうのは、たとえ僕の耳にまで届かない場所で言っているのであっても、とても耐えられるものではない。


 「青い帽子について何か知っていることがあれば、教えてほしいのじゃが.....」


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  「青い帽子」(二)へ続く.....

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